2026年3月。ミラノ冬季五輪。 ドロミテの白い頂(いただき)で、歴史が動きました。新種目、スキー・マウンテニアリング(通称:Skimo / スキーモ)。
世界中のアスリートが、自分の足とスキーで山頂を目指す。 その過酷な姿に、世界が熱狂しました。でも、そこに日本代表の姿はありません。 予選で敗れ、五輪への切符を逃したからです。
SNSでは、落胆(らくたん)の声が溢(あふ)れています。「JAPOW(日本の雪)があるのに、なぜ?」 「日本人は雪山が好きなのに…」私は、30年近く雪山と向き合ってきました。
黎明期(れいめいき)の重たい道具で、腰まである雪をかき分けてきた。そんな私からすると、この「不在」はショックでした。でも、理由は体力負けではありません。
そこには、一般の人には見えない「真の壁」があります。道具は進化し、環境も最高。 なのに、なぜ届かなかったのか。30年の経験を基に、その深層(しんそう)を語ります。
「Skimo(スキーモ)」とは何か?:究極の過酷な「原点回帰」
まず、「Skimoって何?」という疑問を整理します。一言でいえば、「スキーによる登山」です。
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競技: 軽量なスキーとブーツで、雪山を自力で登り、滑り降りる速さを競います。
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登り: スキーの裏に「シール」という特殊な布を貼り、斜面を登ります。
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下り: 山頂でシールを剥(は)がし、一気に滑り降ります。
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さらに: スキーをザックに背負い、アイゼン(氷に刺さる爪)で走る区間もあります。
「滑走技術」「持久力」「登山家の判断力」。すべてが求められる、究極のマルチアスリート競技です。
メダルの鍵は「地味な10秒」に。欧米の「雪山文化」という高い壁
「スキー競技なら、滑りが速い選手が勝つ」 そう思うのが普通です。でも、ウィンタースポーツ歴30年の私は知っています。勝負を決めるのは、「滑りの速さ」ではありません。
最も重要なのは、「トランジション(モード切り替え)」の緻密(ちみつ)さです。これは、観客には全く凄(すご)さが伝わらない、地味な作業です。
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登りから下りへ: 息が切れるほど走って登ってきた直後。
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極限状態: 心拍数は200近い。
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作業: その状態で、手袋をしたまま、凍える指先で、1秒の無駄もなく道具を操る。
トップ選手は、この切り替えをわずか10秒〜15秒で行います。 まさに、芸術の域です。私たちが趣味でバックカントリーに行く際、この切り替えには3分〜5分はかかります。
手袋を脱ぎ、シールを畳(たた)み、道具を確認する…。30年前、私が使っていた道具は、今のSkimoのギアに比べれば、鉄下駄(てつげた)のように重かった。
道具が進化し、1秒を競う競技になった今、この「緻密さ」が勝敗を分けます。金メダルを独占したフランスやスイスの選手たち。
彼らは、幼少期からアルプスの麓(ふもと)で暮らしています。スキーで山を登り、滑る。それが「生活の一部」なのです。彼らにとって、トランジションは練習ではありません。
生活の中で培(つちか)われた、無意識の動きなのです。日本でも道具は進化しました。でも、それはまだ「週末のレジャー」です。道具を自分の体の一部にする。その「文化の深さ」の差でした。
「JAPOW(ジャポウ)」への甘え:環境への適応という罠(わな)
もう一つの要因は、私たちが誇る日本の雪そのものにあります。「JAPOW(Japan Powder)」は、世界最高のパウダースノーです。
でも、Skimoの舞台となる欧米の雪山は、そんなに優しくありません。氷のように硬いアイスバーン。風で叩かれてガチガチになった斜面。それが欧米の「日常」です。
30年間、日本の素晴らしい雪の上で滑り続けてきた経験から、あえて言います。日本のアスリートには、”JAPOWへの甘え”があったのではないか。日本の雪は柔らかい。 多少ミスをしても、雪が受け入れてくれます。
でも、欧米のアイスバーンは違います。30年前、私がカナダのロッキー山脈で滑った時のことです。日本の感覚でエッジを立てたら、氷のような斜面に全く噛(か)みませんでした。
そのまま、何十メートルも滑落(かつらく)しました。あの時の恐怖は、今も忘れません。Skimoの登りでは、硬い氷の斜面で、いかにスリップせず、最小限の体力で登るかが鍵です。
欧米の選手は、そのためのエッジコントロールと体重移動を、過酷な環境で自然と身につけています。日本の「環境の良さ」が、逆に「過酷な環境への適応力」を奪ってしまった。この逆説的な構造も、日本が世界に届かなかった要因ではないでしょうか。
まとめ:Skimoの不在は、日本の雪山文化が進化する「スタートライン」
2026ミラノ五輪。 その舞台に、Skimo日本代表の姿はありません。 これは事実です。でも、ウィンタースポーツ歴30年の私は、これを「敗北」とは思いません。
日本の雪山文化が、真に世界レベルへと進化するための、「新たなスタートライン」だと捉えています。道具の進化、JAPOWという素晴らしい環境、そして日本人の持つ「緻密さ」。
これらは、間違いなく世界に通用します。足りなかったのは、それを過酷な環境で、極限まで磨き上げる「時間」と「文化の深さ」だけです。
今回の「不在」という事実。その裏にある、雪山大国の層の厚さと、日本が目指すべき地平(ちへい)。それを知ることで、ウィンタースポーツは、もっと深く、もっと熱いものになるはずです。
次の4年、日本の雪山文化がどう変わるのか。私はエッジを磨きながら、見届けたいと思います。


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