非常勤講師からのスタートで、手探りで学んだこと

非常勤講師からのスタートで、手探りで学んだこと 新任教員・若手の先生へ
※この記事は、僕自身の教員生活での体験をもとに書いています。

教員としてのスタートは、公立高校の非常勤講師でした。それまで塾で8年間、個別指導の経験は積んでいましたが、学校での一斉授業はまったくの未経験。何もわからないまま現場に立つことになりました。

この記事でわかること

  • 個別指導と一斉授業の違いに戸惑ったこと
  • 非常勤から専任になるまでの道のり
  • 先輩教員の授業を見学させてもらったこと
  • 初めて作ったテストで受けた指摘
  • 非常勤講師として初めて教壇に立つ人へのアドバイス

「ヤバい」と感じた、個別指導と集団指導の差

長年、塾で1人か2人を相手に教えていました。個別指導では、生徒がわかっていなさそうなら説明方法を変えるなど、経験を積んでいたので対応できていました。ところが一斉に教えるとなったとき、伝えたことの浸透度があまりにも違いました。個別と集団ではそのように柔軟に対応できないことが感覚的にわかり、ヤバいと思いました。当時は生徒それぞれの反応にまで気づけていなかったと思います。今振り返って、ようやく気づけていることも多いです。

授業の進め方も手探り状態で、わかりにくい授業だったかもしれません。先輩の先生はとても授業が上手でわかりやすかったので、その先生と比べれば、僕の授業自体が生徒にとって迷惑だったのではないかと思います。生徒に直接確認したわけではないので、具体的にはわかりません。それでもおそらく、「なんでやねんな」と思わせてしまっていたことは多くあったのではないかと推測しています。いい生徒たちだったので、表立って反発されるということはなかったのかなと思います。

30歳、大阪の府立高校で非常勤としてスタート

非常勤講師として働いたのは、30歳の年の2学期から、翌年の1年間まで、合わせて1年と2学期分です。出身大学から、近所の高校で2学期から非常勤講師を募集していると教えてもらったのがきっかけでした。当時は新聞配達と塾の講師をしていて、急にやめることができないと思っていたので、お願いをして非常勤で雇用してもらいました。

それまで定職に就かず、新聞配達と塾の講師でギリギリ生計を立てていました。教えることを生業としたいと漠然と考え始めていた頃、大阪の府立高校で非常勤として教えさせていただくチャンスをいただきました。そこで自分の実力不足を痛感させられました。塾で「教える」ことは10年くらい経験を積んでいたので自信はありましたが、いざ40人弱の生徒に一斉授業をしてみて、経験不足、実力不足を突き付けられました。塾では1対1か1対2の個別指導だったので、一斉授業の経験がなかったのです。教員を目指すのであれば経験を積まないと話にならないと痛感し、そこから就職活動を始めました。

常勤講師として大阪、横浜と渡り歩いた日々

まず、大阪の私立の学校で働かせていただきました。もともとコース制の女子高で、数年前から一部のコースを共学に変更した学校だったようです。そこで3年間、常勤講師として働かせていただきました。常勤講師は1年契約で、上限が3年の学校が多いと思います。そこで契約を打ち切られました。当時、両親は埼玉の持ち家に住んでいて、体調のよくない父親から帰ってきてほしいと言われていたので、ちょうどいいタイミングだと思っていました。

しかし、就職活動は大変でした。3浪して、通うべきではない大学を卒業し、その後は就職活動すらせず、新聞配達と塾の講師で約6年間生計を立てているような、どこの馬の骨かわからない30過ぎの人間を採用しようと考える高校はありませんでした。ほとんど書類選考で落とされ、たまに合格しても新幹線代をかけて試験に挑んでは連戦連敗でした。埼玉だけでなく東京まで広げ、それでも状況が変わらなかったので関東全体に広げて就職活動を続けました。いろいろな幸運が重なり、何とか横浜の高校に採用していただけました。

その高校も、もともと女子高で10年くらい前に共学に変更した学校で、当時はもう男子生徒のほうが多い状況でした。この高校で男子生徒と対峙するために、なめられないように大声で威嚇して虚勢を張っていました。今にして思えば、そのようなことをする必要はなく、ただただ教員として未熟だったのだと痛感します。この横浜の高校で専任を目指していましたが、4年で契約を打ち切られました。

幸運が重なって、今の東京の女子高につながった

幸運なことに、横浜の高校で4年間ずっとお世話になっていた先生が僕のことを気にかけてくださり、その先生の人脈を駆使して、今の東京の女子高につなげていただきました。いうなれば、今の学校にはコネ入社でした。数学科の先生方に認めていただいていたのかは疑問ですが、常勤講師として2年間、副担任として働いていました。ここでも幸運なことに、所属していた学年主任に認めていただいていて、その学年主任が途中で副校長になられました。そこで、副校長になられた元学年主任の先生に専任にしていただけました。僕は今まで「運」で何とかここまで生きてこれたのだと思います。幸運な人生だと思っています。

非常勤の期間、生徒とのかかわりは深くなかった

非常勤講師の頃は、授業以外で生徒とかかわる機会はほとんどありませんでした。部活動の顧問でもなかったので、深く生徒とかかわることはありませんでした。

具体的な説明が、なによりわかりやすかった

分からないことだらけの中で、何人もの数学科の先生の授業を見学させてもらいました。教え方についても、いろいろと相談させてもらいました。特に印象に残っているのは、すべての事柄を具体的に説明する先生の授業です。その具体的な説明が、とても分かりやすかった。今でも、生徒に説明するときは、できるだけ具体的に説明するように心がけています。それぞれの先生方は授業のやり方が違います。その進め方を一人ひとり教えてもらい、授業を進めるうえでのポイントなども、いろいろな先生方の取り組みを聞かせてもらいました。

パソコンに不慣れなまま作った、初めての定期テスト

初めて定期テストを作ったときも、苦労がありました。当時、ほとんどパソコンに慣れていなかったので、入力にとても時間がかかっていたと思います。作ったテスト問題案を見ていただくと、バランスや難易度について、そのたびにご指摘をいただいていました。どのような意図でこの問題を出題したのか、どんな生徒でも点数を取れる問題は入っているか、授業で教えた問題か、問題集に載っている問題か、問題集の隅々まで解いて頑張っている生徒には解ける問題を入れているか。そうした観点を、一つひとつ教えていただきました。

非常勤講師として初めて教壇に立つ人へ

非常勤講師はとにかく授業がすべてです。部活動の顧問や校務分掌もありません。教員は授業ができてなんぼだと思います。この時期にしっかりと授業準備をして授業に挑み、毎回の授業を振り返り、検証、反省を繰り返し、いろいろなことを試みながら自分の授業スタイルを模索すればいいと思います。未熟な自分の授業より、経験豊富な先生の授業のほうがいいに決まっています。だから、そのときのマックスで授業をしなければならないと思います。教員は様々な経験を積んで、生徒とかかわらせていただいて、成長させていただいています。この謙虚な姿勢を常に持って、常に自分の最高を出すように全力で教員の仕事に取り組むべきだと僕は考えています。

ポイント

経験があるつもりでも、現場が変われば通用しないことがある。大阪、横浜、東京と渡り歩いた道のりは、決して順調ではありませんでしたが、その都度気にかけてくれる先生に恵まれていました。分からないときに、素直に聞けるかどうかが分かれ目でした。

まとめ

非常勤講師として始まった教員生活は、手探りの連続でした。授業の作り方も、成績のつけ方も、テストの作り方も、生徒との接し方も、すべてが初めて。大阪、横浜と常勤講師を渡り歩き、契約が続かない時期もありましたが、周りの先輩に授業を見学させてもらい、相談しながら、少しずつ形にしていきました。今の学校での専任も、幸運と、支えてくれた先生方があってのことだと感じています。

まとめポイント

  • 塾での個別指導経験はあったが、一斉授業は未経験だった
  • 30歳から非常勤講師として始まり、大阪・横浜で常勤講師を経て今の学校で専任になった
  • 非常勤講師には「授業がすべて」であることを伝えたい

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