【ミラノ五輪】30年雪にまみれた私が、村瀬心椛の「採点」に涙した理由。採点システムへの憤り

あの3本目のランを見た瞬間、何かが胸に刺さった

2026年2月19日、ミラノ・コルティナ冬季五輪スノーボード女子ハーフパイプ決勝。村瀬心椛が3本目の最終ランに挑んだとき、会場の空気は静まり返っていた。彼女がドロップインして最初のヒットを決めた瞬間から、全てが違って見えた。スピード、高さ、グラブのタイミング——この日の彼女のライディングは、疑いようもなく「最高のパフォーマンス」だった。フロントサイド1080を含む大技の連発。着地も安定し、フローも完璧。スタンドからは自然と歓声が上がった。しかし採点ボードに表示された数字は、その演技の質に到底見合うものではなかった。村瀬はメダル圏外——その結果に、会場では困惑の声が広がった。採点システムのブラックボックス的な側面が、またしても表面に出た瞬間だった。国際映像を通じてこの演技を見ていた私は、「これでその点数なのか」という言葉が自然と口をついて出た。スノーボード競技を愛するファンとして、その瞬間の怒りと悲しさは今も忘れられない。

採点競技の「見えない壁」——ハーフパイプ採点の仕組みと問題点

スノーボード・ハーフパイプの採点は、「大技の難易度」「高さ」「グラブ」「フロー」「着地の安定性」などが複合的に評価される。しかし採点は最終的にジャッジの主観が大きく影響するため、同じ演技でも大会によって点数が変わることが珍しくない。今回の村瀬のケースでは、大技の構成や質において上位選手と比較しても遜色ないレベルにあったにもかかわらず、点数差が開いた。ジャッジの国籍や経験、あるいは直前の演技との「印象の余韻」が影響していた可能性は否定できない。採点競技が抱えるこの構造的な問題は、スノーボードに限らず、フィギュアスケートや体操などでも長年議論されてきた。「透明性のある採点基準の公開」「採点過程の録画と第三者評価制度の導入」などの改革が求められているが、実現には国際連盟レベルでの合意が必要だ。アスリートが最高のパフォーマンスを発揮したとき、それが正当に評価される環境を作ることが、競技の未来を守る最大の使命だと思う。

スノーボード30年のシーサーが語る——採点に対する複雑な感情

私がスノーボードを始めたのは1990年代のはじめ、まだ競技としてよりも「カルチャー」として楽しまれていた時代だ。コンテストに出るようになってから、採点への違和感を何度も経験した。「あのランの方が絶対よかった」と思っても、数字がそれを示さないことはある。でも、今回の村瀬の件は次元が違う。五輪という最高の舞台で、世界中が見ている中で、あれだけのパフォーマンスが正当に評価されなかった。その理不尽さは、30年間の雪山経験の中でも最も深く刺さったものの一つだ。彼女がドロップインする前から、その目の中に「絶対に後悔しないライドをする」という決意が見えた。スノーボーダーとして、その覚悟だけは正しく伝わっていた。採点がどうあれ、村瀬心椛はあの日、間違いなく最高のスノーボードをした。それだけは自信を持って言える。

今後への問いかけ——採点競技に未来はあるのか

村瀬心椛の件を機に、採点競技の在り方について改めて考えるきっかけを持った人も多いはずだ。テクノロジーが進化し、AIによる採点補助や3Dモーション解析が実用化されつつある今、スポーツの採点に客観性をどこまで取り込めるかが問われている。完全な客観化は難しいが、透明性を高める努力は必ずできるはずだ。あなたはスノーボード・ハーフパイプの採点をどう改革すべきだと思いますか?選手が最大限の力を発揮できる環境、そしてその力が正しく評価される仕組みを、一緒に考えていきたいと思います。

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