2026年ミラノ・コルティナ冬季五輪、連日の熱戦で寝不足の方も多いのではないでしょうか。でも、競技の結果と同じくらい世界中のSNSをザワつかせているのが、実は選手村の「ピザ」なんです。
美食の国イタリアで開催されている今大会。本場の味を期待したアスリートたちを待ち受けていたのは、思わぬ「食の文化衝突」でした。
30年、雪山の過酷な環境で『食』が心身に与える影響を見てきた私ですが、今回の選手村のピザ騒動には、現代スポーツの面白い変化を感じました。
イタリア人のプライド?衝撃の「アメリカ風ピザ」
いまSNSで最も注目されているのが、選手村のメニューにあった「アメリカーナ(アメリカ風ピザ)」です。
イタリアの職人にとって、ピザにポテトフライを載せたり、厚い生地を使ったりするのは、もはや「別の食べ物」。
しかし、イタリアでは邪道とされるポテトフライのトッピングが、実は米国選手には馴染み深い味だったりするのです。
TikTokでは、イタリア人シェフが皮肉を込めてジャンクに仕上げたピザを出す様子や、それを見た米国選手が「本国のデリバリーの方が落ち着く(笑)」と本音を漏らす動画が数百万回も再生されています。
(出典:ニューズウィーク日本版:五輪・選手村で提供の「アメリカーナ」ピザにSNS震撼)
国際通信社のロイターが報じたアスリートたちの本音によれば、このやり取り、単なる好き嫌いの話に見えますが、実はトップアスリートにとって「食」がいかにメンタルを左右するかを物語っているんです。
カレーとラーメンしかなかった30年前の雪山
このピザ論争を見て、私は30年前の日本のスキー場を思い出さずにはいられませんでした。当時のゲレンデ飯といえば、選択肢はほぼ二つ。伸びきった麺の醤油ラーメンか、具が溶けて見えないレトルト風のカレーでした。
ストーブの灯油の匂いが漂う山小屋で、かじかんだ手でプラスチックの先割れスプーンを握りしめ、「温かければそれでいい」と必死にかき込んでいたものです。あの頃の私たちにとって、食事は単なる燃料補給でした。
でも今は違います。ミラノ五輪の選手村のように、ベジタリアン、グルテンフリー、そして各国の郷土料理までが並び、食事そのものが「自分らしさを保つための大切な儀式」になっています。
30年前、吹雪の中で食べたあのカレーは、味よりも温かさが最高のご馳走でした。でも今の五輪では、味の好みでジョークを言い合える心の余裕がある。これはスポーツが、ただの根性論から、個人の幸せを尊重する時代に変わった証拠だと私は思います。
■ 30年前と現代の「雪山・勝負飯」の変遷
・30年前:選択肢はラーメンかカレー。凍えた体を温める「燃料」としての食事
・現代:ピザの種類にまでこだわる。メンタル維持や「自分らしさ」のための儀式
・背景:栄養学の進化に加え、アスリートの心理的幸福(ウェルビーイング)が重視され
「正しい味」より「心が落ち着く味」が最強の武器
イタリア人の本場へのこだわりも、アメリカ選手の慣れ親しんだ味への愛も、どちらも正解です。
過酷な雪山や氷の上で戦うとき、最後に自分を支えてくれるのは、意外にも「美味しい」と感じる一瞬の幸せだったりします。
私が30年の経験で学んだのは、どんなに栄養バランスが完璧でも、心がワクワクしない食事では本当の力は出ないということです。
異文化を楽しみつつ、自分の好きを貫く。今回のピザ論争は、そんな現代的なしなやかさを私たちに教えてくれている気がします。
(出典:ロイター通信:Winter Olympic athletes can’t resist Italian pizza(英語))
まとめ
ミラノ五輪のピザ論争は、単なるハプニングではなく、アスリートが自分らしくあるための「心の栄養学」でした。
30年前の何でもいいから食べる時代から、今の自分に合うものを選ぶ時代へ。雪山での食事の進化は、私たちが自分自身の心をどれだけ大切にできるようになったかの歴史でもあります。
あなたは、勝負の前にこれを食べれば安心できるという、自分だけの魔法のメニューを持っていますか?
(合わせて読みたい:30年前は車が埋まっていた。ミラノ五輪の「人工雪」を見て、私が雪山に謝りたくなった理由)


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