30年前は車が埋まっていた。ミラノ五輪の「人工雪」を見て、私が雪山に謝りたくなった理由

温暖化の忍び寄る影・・・ 五輪コラム

2026年ミラノ・コルティナ冬季五輪。テレビに映し出されるイタリアの絶景に目を奪われますが、よく見ると少し「違和感」を覚えませんか?

茶色の山肌に、まるで白いリボンを引いたように浮き上がる一本のコース。実は、今大会の競技用スノーの大部分は、100%に近い割合で「人工雪」で作られています。

スキー・スノーボード歴30年の視点から、ミラノ五輪の人工雪100%という異様な光景と、失われつつある天然雪の記憶を記録します。

「雪がない五輪」は、もはや他人事ではない

今回のミラノ五輪では、開催地イタリアの気温上昇が深刻です。過去数十年のデータを見ても、2月の平均気温は上昇を続け、かつては当たり前だった「天然のパウダースノー」が貴重品になっています。

実際に、広島ホームテレビの報道(2026年3月1日)によると、イタリア国内ではこの5年間で250以上のスキー場が閉鎖に追い込まれたという衝撃的なニュースも報じられています。

SNSでは「雪山なのに雪がない!」「人工雪は転ぶと氷みたいに硬くて怖い」という、慣れない雪質に戸惑う若者たちの声が溢れています。

でも、30年前の冬を知る私からすれば、これは冬が死にかけているという静かな悲鳴のようにも聞こえるのです。

「朝起きたら車がない」のが当たり前だった30年前

私が雪山に通い詰めていた30年前、日本の冬はもっと圧倒的で、もっと不便でした。朝、民宿のカーテンを開けると、昨日までそこにあったはずの自分の車が雪に完全に埋まり、巨大な「白い塊」になっている。そんな光景は日常茶飯事でした。

まずは車を掘り出し、重い雪をかき分けてゲレンデへ向かう。雪は「掃いても掃いても降ってくる厄介者」であり、同時に私たちを優しく包み込んでくれる最高の宝物でした。

膝まで埋まるパウダースノーに飛び込んだときの、あの「音のない世界」。転んでも痛くないどころか、雲の上にいるような柔らかさ。

あの感触を、今の選手たちや、SNSで五輪を見ている世代に味わわせてあげられないことが、何より切ないのです。

(出典:SWI swissinfo.ch:気候変動が冬季五輪の未来に落とす暗い影)

気候変動が冬季五輪の未来に落とす暗い影
今、ミラノ・コルティナ冬季五輪で熱戦が繰り広げられているが、その裏では地球温暖化が冬の祭典の将来を脅かしている。2028年大会の開催が有力視されるスイスは環境配慮型の大会を提案するが、新たなモデルとなれるのだろうか。

■ 比較:30年前の天然雪 vs 2026年ミラノの人工雪

・30年前:一晩で車が埋まる積雪量。転んでも痛くない「パウダースノー」

・2026年:山肌が茶色の「白いリボン」状態。氷のように硬い「人工雪」

・環境負荷:人工雪の製造には膨大な水と電力が必要。温暖化の悪循環への懸念

今の「人工雪」は、どんなに技術が進んでも、あのふんわりとした「本物の冬の優しさ」までは再現できないのかもしれません。

私たちが今、山にできる「小さな恩返し」

人工雪の技術が進化したおかげで、五輪は開催できています。それは素晴らしいことです。でも、その雪を作るために膨大な水と電気を使い、さらに温暖化を加速させてしまうという「皮肉な現実」も私たちは無視できません。

30年前、雪を「当たり前にあるもの」として雑に扱っていた自分を、少しだけ叱りたくなりました。「ごめんね、あんなにたくさんあった雪を、守りきれなくて」 そんな風に、今の茶色い山肌を見ていると、山に謝りたくなる気持ちが込み上げてきます。

地球規模の問題を一人で解決するのは無理かもしれません。でも、ゲレンデにゴミを落とさない、なるべく環境に優しい移動を選ぶ……そんな小さな山への恩返しを、これからの30年も続けていきたいと思うのです。

まとめ

ミラノ五輪の茶色い斜面に引かれた一本の白いライン。それは、人類の技術の結晶であると同時に、自然からの「最後通告」なのかもしれません。30年前の「雪に埋まった車」を思い出しながら、私は誓います。

次の世代にも、人工ではない「ふわふわの本物の雪」を一度でもいいから踏ませてあげたい。そのために、私たちは今、雪山に対して謙虚であるべきではないでしょうか。あなたは、最後に「本物の大雪」に触れたのは、いつですか?

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