スキーやスノーボードを愛して30年。イタリアの雪山を知り尽くした私にとって、2026年ミラノ五輪でもっとも胸を熱くしたのは、実は「ボブスレー」をめぐる大逆転劇でした。
今、SNSのタイムラインは大会の余韻(よいん)に浸る人たちの言葉であふれています。その中でも、多くの人が「信じられない」と語るのが、 一時は「お隣のスイスで開催する」と公式発表までされた、ソリ競技の結末です。
「自国開催なのに、メダルが決まるのはよそなの?」 「イタリア人のプライドはどうなっちゃうんだ!」2023年末、IOCが「イタリア国内での建設は無理」と判断したときの、あの絶望的な空気を私は忘れません。
でも、2026年3月の今、私たちはコルティナの地で、イタリアのソリが風を切る姿を無事に見届けることができました。
(出典:CBC:ボブスレー、スケルトン、リュージュ競技の実施について)
30年前、イタリア人が愛した「地響き」のような誇り
30年前、イタリアのコルティナにあったコースは、滑り手にとっての聖地でした。 ソリが氷を削りながら駆け抜けるとき、 お腹の底まで響く「ゴォォォーッ」という地響き。 それは、イタリア人の情熱がそのまま音になったような迫力でした。
私も若い頃、氷壁のそばでその音を聞いたとき、 あまりの風圧と冷気、そして選手たちの熱量に、 全身の毛穴が逆立つような衝撃を受けたのを覚えています。
「俺たちの街には、世界一の氷がある」 あの頃のイタリア人たちが自慢げに語っていた、 宝石のように青白く光る氷の景色が、私は大好きでした。
スイスへの「亡命」を止めた、13ヶ月の奇跡
「プランB」として、スイスのサン・モリッツにある天然氷コースを使う準備は、大会直前まで進んでいました。 世界中が「再建なんて、どうせ間に合わない」と笑っていたからです。
でも、イタリアのアスリートや職人たちはあきらめなかった。 「自分たちの家で、自分たちの風を感じて滑りたい」その想いが、不可能と言われた短期間でのコース再建を成し遂げました。
2025年のテスト走行で、イタリアのソリが初めて新コースを滑り降りたというニュースを聞いたとき、30年この世界にいる私は、不覚にも目頭が熱くなりました。
(出典:IBSF:国際ボブスレー・スケルトン連盟の公式サイト:コルティナ会場の再建とテスト走行の記録)
国境をこえた「絆」が教えてくれた、新しい五輪
最終的にイタリアは自分たちのコースを守り抜きましたが、 この「お引越し騒動」が教えてくれたのは、本当の国際協力でした。環境を守るためにどう作るか、間に合わないときに隣国とどう手をつなぐか。
30年前のような「自分たちさえ良ければいい」という意地ではなく、 世界中の厳しい目と向き合い、対話した末に勝ち取った開催。
コルティナのゴール地点で、スイスの選手とイタリアの選手が 互いの健闘をたたえて肩を組む姿。 それは、30年前には見られなかった「新しい時代の誇り」でした。
まとめ:あきらめない心が、歴史を動かした
「もうダメだ、スイスへ行こう」 そんな絶望的なニュースから始まった、ボブスレーの物語。 でも、30年滑り続けてきた私には、はっきりとわかります。
2026年2月、新しくなったコルティナのコースで、 イタリア代表が最後の一滑りを終えたときの、あの弾けるような笑顔。
あれは、一度は失いかけた「自分の誇り」を、 自分たちの手で守り抜いた人だけが見せられる、最高の輝きでした。
雪の匂い、冷たい風、そしてエッジが氷を噛む重たい地響き。 2026年、私たちは「あきらめない心」が国境をも動かすという、 スポーツが持つ本当の魔法を目撃したのです。
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