2026年2月22日、ミラノ・コルティナ冬季五輪が閉幕しました。日本が冬季史上最多のメダル24個を獲得し歓喜に沸く一方で、舞台裏では「もう一つの戦い」が繰り広げられていました。
JOC(日本オリンピック委員会)は今大会、選手を中傷から守るため、日本とイタリアの2拠点で24時間監視する専門チームを設置。
大会序盤のわずか1週間で確認された中傷は6万2333件に達し、これはパリ五輪の同時期の約7倍という異常事態でした。
(出典:SPAIA:4年間の努力を1行で壊すな 誹謗中傷「1週間で6万件超」ミラノ五輪に見える日本スポーツ文化の闇)
最終的にJOCが削除申請を行ったのは1919件。練習中の怪我で棄権を余儀なくされた選手に対し、「次は辞退してください」といった残酷な指先が向けられたのです。
スキー・スノーボードを愛して30年、雪山の熱狂を見てきた私には、今の光景があまりに歪(いびつ)で、悲しくて仕方がありません。
30年前、応援は「体温」を伴う儀式だった
SNSがなかった30年前、選手とファンの距離は今よりもずっと遠く、そしてずっと「温かかった」のです。当時の応援は、スマホのタップではなく「切手と封筒」でした。
ファンは便箋を選び、自分の手で文字を書き、ポストへ投函する。その手紙が山を越え、雪を越え、数日かけてようやく選手の元へ届く。
選手はその封筒を開けるとき、相手の筆跡から、その人の体温や想いを感じ取っていました。私もかつて、憧れのプロスノーボーダーにファンレターを書いたことがあります。
返信なんて期待していなかったけれど、数ヶ月後に届いた一枚のハガキ。そこには、雪の上で書いたような少し震えた文字で「応援ありがとう、また山で会おう」とだけ記されていました。
その一枚の紙が、どれほど私の冬を輝かせてくれたか。今の「0.1秒で届く刃」に、そんな魔法が宿る余地はあるのでしょうか。
【比較表】30年前の「体温ある応援」vs 現代の「デジタルの刃」
| 比較項目 | 30年前(アナログの絆) | 2026年ミラノ五輪(デジタルの光と影) |
| 応援の手段 | 手書きの手紙、現地での声援。 | SNSの投稿、DM、リプライ。 |
| 届くまでの時間 | 数日〜数週間(想いが熟成される)。 | 0.1秒(感情が剥き出しで届く)。 |
| 中傷の数 | 稀(直接言う勇気が必要だった)。 | 1週間で6万件超(パリ五輪の7倍)。 |
| JOCの対応 | 競技運営に集中。 | 24時間・2拠点体制で専門チームが監視。 |
(出典:デイリースポーツ:JOC 五輪でのSNS誹謗中傷 1919件に削除申請 削除確認は371件)
「雪山のマナー」を思い出してほしい
SNSの暴走の背景には、五輪の時だけ現れる「にわかファン」の存在もあります。もちろん、誰でも応援できるのが五輪の良さです。
でも、30年雪山を見てきた私から言わせれば、雪の上でたった一回ターンを決めることが、どれほど怖くて、どれほど尊いことか。
練習中に転倒し、夢を諦めて棄権する。その決断を下した瞬間の選手の「心臓の痛み」を、指先一つで叩いている人たちは想像したことがあるでしょうか。
(出典:読売新聞:選手への誹謗中傷1919件、JOCが削除申請…史上最多の24個メダル獲得)
30年前のゲレンデには、転んだ人に「大丈夫か!」と声をかける、当たり前の優しさがありました。たとえ見知らぬ人同士でも、同じ雪を楽しむ仲間としてのリスペクトがあった。デジタルの世界になっても、その「雪山のマナー」だけは忘れてほしくないのです。
まとめ:次にSNSで言葉を発するあなたへ
JOCが24時間体制で監視を続け、2000件近い削除申請を行わなければ選手の心が守れない。そんな今の時代を、私は同じ雪山を愛する者として、少しだけ恥ずかしいと感じます。でも、同時に信じています。
SNSは誰かを傷つけるための道具ではなく、遠く離れた場所からでも「君の滑りに勇気をもらったよ」と、かつての手紙のような温もりを届けるための道具になれるはずだと。
あなたが次に投稿するその一言は、選手の背中を押す「追い風」ですか? それとも、彼らを突き落とす「吹雪」ですか?
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