スキー・スノーボード雑誌のライターとして30年、雪山の厳しい現実も奇跡のような瞬間も見てきた私ですが、ミラノ五輪から正式種目となった「スキーモ(山岳スキー)」の圧倒的な過酷さを目の当たりにし、スキーというスポーツの「原点」を突きつけられた思いです。
2026年3月、イタリア。ミラノ・コルティナ五輪。SNSのタイムラインには、耳慣れない「スキーモ」という言葉と、驚きの映像が流れています。「これ、スキーっていうか完全に登山じゃん!」「登りの速さがバグってる……見てるだけで筋肉痛になるわ」
参照:Olympics.com:Ski Mountaineering in Milano Cortina 2026
100年ぶりに五輪へ帰ってきた「山岳スキー」。その超人的な競技内容。そんな驚きの声が溢れていますが、30年雪山を歩いてきた私には、彼らの荒い息遣いが、スキー本来の「純粋な魂」の叫びに聞こえてくるのです。
「シール」一枚に命を預けた、30年前の泥臭い記憶
30年前、僕らにとって「滑る」ことは、まず「自分の足で登る」ことでした。リフトなんてない裏山。誰もいない、手付かずの深雪。
スキー板の裏に「シール(滑り止めの皮)」をペタリと貼り、一歩一歩、自分の体重を雪に預けて登っていくのです。
- 氷のように冷たい風が、肺の奥まで突き刺さる感覚。
- 自分の心臓の鼓動だけが、静寂の雪山にドクドクと響く時間。
- 一時間かけて登っても、滑り降りるのはたったの数分。
それでも、自分の足で手に入れた「一本」の滑りは、リフトで回す100本よりも、ずっと深く心に刻まれました。あの時、雪の斜面と一体になった感覚は、今も私の宝物です。
【比較】スキーモの「異常な速さ」と「伝統の知恵」
今の五輪選手が使う道具は、30年前とは別次元の「魔法の杖」です。でも、その根底にある「自然への挑戦」という精神は、国際山岳スキー連盟(ISMF)が守り続けてきた伝統そのものです。
30年前の登山スキー vs 2026年五輪スキーモ
| 比較ポイント | 30年前の現場(アナログ) | 2026年スキーモ(ハイテク) |
| 道具の重さ | 鉄のように重い板。肩に食い込む。 | 片手で持てる超軽量カーボン。 |
| 登りの速さ | 景色を愛でながら、一歩ずつ。 | 垂直の壁を走り上がる猛スピード。 |
| シールの着脱 | 凍えた指先で、必死に剥がす。 | 芸術的なスピードで一瞬の切り替え。 |
| 技術の進化 | 軽量化と剛性のバランスの歴史 | 1gを削り、心拍数200で戦う。 |
効率化の時代に、あえて「苦しむ」ことの美しさ
現代のスキー場はとても快適です。高速リフトに乗れば、寒さを感じる間もなく整備された斜面を何度も滑ることができます。
でも、2026年の五輪でスキーモがこれほど注目されているのは、私たちが効率化の陰で忘れてしまった「自分の足で高みを目指す喜び」を、本能的に再発見しているからかもしれません。
参照:National Geographic:The Rise of Ski Mountaineering
なぜ今、世界は再び「自分の足で登るスキー」に熱狂しているのか。汗だくになって斜面を駆け上がり、限界の向こう側で板をコントロールする選手たち。その泥臭い姿は、30年前に僕らが誰もいない山で息を切らしていた、あの頃の情熱と重なります。
30年選手にしか見えない「最高の景色」
スキーモの選手たちが、山を登りきった瞬間に見せる表情。あれは、リフトに乗っているだけでは絶対に手に入らない、「選ばれし者の顔」です。
苦しみの果てに見える、吸い込まれるような青い空。そして、自分の力だけで切り拓いた、真っ白な雪面。
30年前、僕らが重い板を担いで、「あそこまで登れば、最高の雪がある」と信じて疑わなかった、あの純粋な情熱。それが今、五輪という舞台で輝いているのが、私は嬉しくてたまりません。
まとめ:たまには、自分の足で登ってみませんか?
もしあなたが、真っ白な雪山を前にするチャンスがあったら。少しだけでいい、自分の足で雪を踏みしめてみてください。
心臓がバクバク鳴り、息が切れたその先に、30年滑り続けても飽きることのない、本当の「スキーの魔法」が待っているはずですから。
(合わせて読みたい:【ミラノ五輪】気温10度の罠?ベタ雪を切り裂く「30年選手の鼻」)


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